亀井静香金融担当大臣の発言 シズカな波紋
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2009/10/20 |
◇日経ビジネスオンラインの執筆者の一人小田嶋隆さんによると、
表面的にはおさまっているように見えるが、ネット上ではまだ議論がくすぶっている。政財界でも、話題は尾を引いている。亀井大臣は、発言を撤回しない旨を繰り返し申し述べているし、御手洗さんはたぶんいまだにムッとしている。(「家族的経営」と「心中」したがる私たち)
◇世界的にみても殺人の率は少ないのだけれど、しかし、殺人事件のうち家族内殺人の占める割合になると非常に高いらしい。そこに目を付けた亀井大臣は、さすがは警察官僚出身と小田嶋さんは指摘する。
◇なるほど。しかし、だからといって家族内殺人を経団連の責任されてもそれは的外れだろうとも。
◇それはともかく、小田嶋さんが言いたかったことは、亀井大臣と御手洗さんのやりとりの背景を映し出したかったようだ。つまり、
「家族的経営」に一定のあたたかみがあったことは、おそらく事実だったのだと思う。 が、その一方で、昔の日本の「家」をイメージした経営理念には、「家族みたいに自他が未分化」で「家族のようにだらしなくもたれ合って」いるネガティブな側面があった。社内には、「お父さんの命令には黙って従うべきだ」式の抑圧がセットアップされ、「子供が理屈を言うものではない」的な圧政が渦巻いていたはずだ。私はそう思う。そういう、他人を他人として扱わない(つまり、年齢の若い社員を「子供扱い」にする)風潮があったからこそ、家族的経営は頓挫したのだ。
◇鳩山首相の「友愛」の誤解を少しでも回避しようというのだろうか。愛のあり方は難しいと。これに対し、私立中高一貫校の教育は興味深い。
◇ドミニコ会修道院の経営する愛媛にある「愛光学園」や仙台の「聖ドミニコ学院」、東京の「聖ドミニコ学園」の愛のあり方は、「離在」である。また浄土宗にベースを置く「芝学園」は「手を離して抱きかかえる」というのである。
◇離れていても信頼関係があるという愛のあり方。これは「友愛」にも通じると思うが、こんなことがいかにして可能なのか。
◇それは共通の見えない価値を共有しているから可能なのだ。この価値の教育は、実は公立教育ではなかなか実践できない。だからどうしても家族にそこは任される。そこがいろいろ問題になるのかもしれない。
| この記事のコラムニスト:本間 勇人| この記事のURL| コメント(0) |
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